「天気の子」レビュー〜考察編〜 面白いのか?面白くないのか?

こちらでは、前回で起こった違和感がなぜ起こってしまったかを考えるパートとして書いていきたいと思います。

面白いか面白くないかを語る上で、私はそもそもの前提を間違っていたような気がしました。

そして、それがわかると、違和感にも納得いくことが出来た。

こちらも映画を観た翌日に改めて考えているだけなので、映画自体は1度しか観ていません。

(内容に関する微妙な差異があるかもしれません。がご了承ください)

ここで私が考察したのは、結論としては

今回はエンタメに振り切って作ったときに

あえてファンタジー要素を排除した冒険ものを作ったときに、どこまで観客がついてくるかの実験的な作品であったのでは?

そして、私は語る上での前提を間違っていた。と思いました。

と考えると違和感もなくなったので、独断と偏見でまとめてみました。

アプローチの間違い

新海さんの過去の作品自体、2つのアプローチで

描かれているような気がする。

男女の心の距離にフォーカスした作品

「ほしのこえ」

「秒速5センチメートル」

「言の葉の庭」

「君の名は」

エンタメ性を高めようとした冒険もの

「雲のむこう、約束の場所」

「星を追う子ども」

そこで、

今回の「天気の子」はこの後者に当たる作品と

同じアプローチを土台として、

ストーリーを構築していったのではないかと。

ファンタジー冒険もの

補足的に、一般的によくあるアニメ映画の設定であり、世間ではよくあるものですよね。

めちゃめちゃざっくりストーリーの構成を説明すると。

「架空の世界などで、少年や少女がそこで出会う困難や挫折を通じて、世界の危機や、大切なものを守るような話」

加えて、これらのストーリー展開に関しては、

「主人公たちがなぜこの世界に飛び込んできたか」

「ヒロインに対して何に変えても守らなければいけない」

という感情的な説明など、結構省略されているように感じます。

なぜなら、フォーカスしているのは、

二人の気持ちの変化などではなく、

「未知の困難に対してどうやって切り抜けていくか」

の方がエンタメとしてワクワクするということが重視されているのだろう。

その文脈で「天気の子」見ると

そう考えると、説明してこなかったものの内容にも納得がいくかもしれない。

冒険ものに今まで使われていた

ファンタジー要素をあえて

封印したリアル冒険ファンタジーが

もしかするとコンセプトにあったのではと思った。

どういうことかというと、

大抵の冒険ものの展開としては

主人公が道の土地に何かの目的の為に向かい

その途中の様々な困難と立ちむうことが主な展開である。

そこで、「天気の子」はというと。

主人公は、地方から東京に出て来た15歳の少年。

→彼にとっては、東京自体が未開の地であり、

常に困難が直面してくる。

・「東京こえぇー」という台詞もあったような気もするし。

・突然拳銃がゴミ箱から出て来たり。

・歌舞伎町では、怖いキャッチの人がたくさんいたり。

・優しくしてくれた女の子が、つれさられそうになっていたり。

必要以上に、東京をリアルに描くことで

この東京の奇妙さを描こうとしたのか?

(とにかく序盤はこの描写が多かった)

一つの可能性が見えてくる。

これ東京に住んでいる人間がみるよりも

地方の人が見た方が面白いのでは?

そして、東京とそこまで接点のない

若者に対しての方が面白いのでは?

ある程度、東京の裏側や現実を知っている人間にとって

この描写による未開の地に遭遇するハラハラ感はどうしても

劣ってしまうからだ。

しかし、まだ納得ができないことがある。

なぜなら私自身、東京に住んでいて

今回描かれていたような事柄は知識として、経験として多少はある人間である。

その私が見ていても、

序盤の展開に関しては楽しめていたのだ。

じゃあ、なぜ途中から入り込めなくなってしまったのか?

ここからは完全に想像になってしまうが、

序盤~中盤の展開(前振り)に

見た人の中で解釈された方向性によって

取り残される人が生まれてしまうのではないかと考えた。

つまり、あの時、私は、この作品を未開の地に挑む少年の冒険ものとして見ていなかったのだと。

・唐突に彼を執拗に追いかけてくる警察の存在

・陽菜の力を使いすぎると体が変になっていく。

・彼女の存在自体が東京をおかしくしていたかもしれない。

これらの展開が唐突に感じすぎてしまい、

途中からよくあるエンタメっぽい流れがどんどん展開され

「???」っとなってしまった。

そう、途中からあれなんだこの展開と思い始めていた。

おそらく「新海さんを知っているがゆえに先を読んだしまった」のと、私自身クリエイターであり、「話の構成を観たときに作った方の意図が見えないケースはほぼない」ので、すごくそこに引っかかってしまった。

おそらく序盤の流れから

私は、意識はしていなかったが、

「新海さん特有の心の距離の表現」が

展開されていくのかと思ってしまっていた。

彼女との距離が切なくも生まれていき、

胸が引き裂かれるような展開がされていくことを期待してしまっていた。

そこからはクリエイターの観点が混ざってしまうが、

なぜこのような展開にしていったのか

新海さんが何を考えてこうしていったのかが分からなくなった。

なぜ、よくあるエンタメっぽい終わらせ方を強引にしたのか?

無理やり盛り上げにいったのかと。

しかし、そもそもこの作品の狙いはそこではなかった。

はなから冒険ものを作ろうとしていたのだとすると

この着地に関してはなるほどと思える。

東京という舞台をファンタジーの舞台として

利用することができるのか?という挑戦だったのではないか?

・ネットカフェでシャワーを浴び、バイトを探し。

・必要以上にインスタント食品、ジャンクフードを食べ。

・町中に広告看板が溢れている

こんな日本の奇妙さを表現していたのだと。

新海さんの良さの一つに

日常生活の中から生まれるファンタジーのような展開があると

私は考えているのですが、、。

この東京(日常世界)がファンタジーの

舞台として成立するのであれば、

新海さんにとっての今後の作品作りにおいての幅がすごく広がる

と考えたのではないかと。

だから、

・人物の心情の表現を必要以上にしなかった。

・陽菜に対する思いも必要以上に語らなかった。

そう自明的に描くことでエンタメ(冒険)作品として受け取っている

人対してはそれは不要なものであり、

受け取れないということはエンタメ(冒険)作品として

見ることができないという試金石にもなっていた。

そして、これは海外の人にとって

すごく面白い作品になる可能性を秘めているのではないかと

そんな気がしてならない。

日本の奇妙さや不思議さを

舞台としてエンタメ作品に昇華させた。

これは、戦略的には面白い挑戦にはなったともう。

序盤の展開はミスリードを誘う?

がしかし、それと同時に

見ている人に対してミスリードを

させてしまいがちな構成にすることへの

作品としての完成度に関してはやはり残念だと

思わざるを得ないのかもしれない。

(それが肝心かなめの日本の中心の東京に住む人が対象であるという点)

現実の東京を思わせないような

舞台にするアプローチも検討したと思うが、

雨が降り続く東京だけで押し切ると覚悟したんだと思う。

私個人としては、

この作品の海外での評価に関しては気にしたいとおもう。

序盤の描写がものすごくリアルにしたゆえのデメリット

大抵のファンタジー系の冒険映画って、そこにある世界は実世界ほど情報量が多くなく、抽象度が高い舞台だと思っています。

なんとなく、草原とか洞窟とか、空中都市とか。

細密に綺麗に描写はすることはあれど、具体性がなく表現されることが多い。

今作は、東京が舞台であり、その具体性はとてつもなくある。どうしても視聴者への情報量は上がり、意識の中で、主人公が街に迷い込む心情描写や冒険感よりも、違ったことに意識を持っていかれがちな気がする。

ここが、個人的に非常に生意気なコメントになってしまうが、ちょっと相性がよくなかったのではないかと思っています。

面白いか面白くないのか?

最後になってしまったが、冒頭の問いに対しての答えを書くとしたら。

中盤辺りまでに、どっち側の観点でこの作品を見ることが出来たかで、反応が変わる作品だと予想します。

序盤から主人公が未知の土地に迷い込んで微妙で怖い街で、トラブルに巻き込まれて、その中で奮闘する姿に入り込めれば「面白い」と思える作品なんだと思います。

あなた自身がどう思ったか、ぜひ体験して見るという意味で、一度みて見る価値はあると思います。

最後に、

次回作の方向性などを是非期待したいと思う。

・心が張り裂けそうな「二人の距離」描く作品なのか

・新海さん流の冒険エンタメなのか

一ファンとして、

また、作品を作る苦労をわかっている身として、

最大限の尊敬を期待を込めて

映画を観終わった時に

この空気にまだもう少し浸っていたいと思わせるような

そんな作品を誠に勝手ながら待っていたいと思った。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です