「天気の子」レビュー 違和感の正体とは?

先日、お盆の休みの間に

新海誠監督の「天気の子」を映画館にて見てきた。

率直にこの映画を見た後感じたことは、

クリエイター(製作者)としての観点で見まくってしまい

個人的な感情は置いてきてしまった。

(1度見ただけなので、内容が少しずれている点があるかもです。)

とにかく疑問や違和感を感じることが多かった映画だった。

私は、新海作品に関しては、全て見ていて彼が持つ世界観が好きでよく見ていました。

ただ、君の名は以前のストーリーに関してはどれも悲しい終わり方するのが多いなぁと思うのと

すごくピュアな話が多かったのでめちゃめちゃ入り込むというよりは、彼らが描かれている雰囲気などがいいなぁという感覚です。

その一方で、一番強く感じた感情は

「この映画を見た若者はどう思うんだろうか?」

ということだった。

そして、この作品を作った意図や方向性に相当疑問の残るものだった。

まずは、良かったなーと思った場所。

よかったこと

初期の設定周り。

家出をした少年が、いってみればホームレスのような状態になる。

そこあら物語が展開していく様子に関しては面白いなと思っていた。

映像美と音楽はやっぱりいい。

説明不要の映像美と音楽はさすが。

グランドエスケープの部分なども音のパワーで

映像の迫力が随分上がっているとおもう。

感じた疑問をいくつか列挙しつつ、内容に関して追記していきます。

疑問が残った点

必要以上に現実をリアルに描いている?一方で、その目的はただリアルに書きたかっただけなのか?

なぜ、ネット難民のような設定を使っておきがながら、着地が東京の雨続きを止めるという帰着になるのかが分からなかった。

なぜそうしたんだ?

そうやって描くなりの目的がないと描かないと思うんだけどなと。

台詞周りや展開の構築が、君の名はを思わせるような感覚に陥った。

「それは、まるで・・・」的な台詞。これ「天気の子」では2回出てきたような気がした。

これは、過去作品には、類似点はあるものの、過去の作品をさせるような作りにはしていなかったと思う。

話の成り行きや説明(キャラのバックボーン)を徹底的に排除している?

特に、帆高が家でをした理由などは一切説明がない。それは必要かどうかに関してはどちらでもいいと思う。ただ、その割には、彼の出身地であるシーン自体はあって、「ただ光を追い求めて東京に来た」という内容のものだった。バックボーンを説明する気がないのであれば、このシーンは必要だったのかと思ってしまう。

ここでも、余計な感情を抱いてしまった。

リアルを描いている割に、子供達では現実味のない行動をしがち。

舞台の描写や生活に関してすごくリアルなのに、

子供相手にこんなに警察から逃げ切れるのか?

ちょっと、無理ないか。

最近の警察から逃げる犯人の揶揄か?

どうでもいいかもですが、なぜエンドロールを2回流した?

それに合わせて、終盤に同じ曲を何度か流している部分がいくつか見受けられて、この辺がすごく蛇足感があってクリエイター的な観点だと

なぜこうしたんだろうと疑問が残ってしまった。

帆高が陽菜に対する感情がそこまで強くなったかの表現は観客に委ねる形になった?

当たり前の展開だからそこまで説明しなくてもいい、

というスタンスなのか、これで十分に感じて仕上げたのかは疑問である。

ここも自分の中で補正しながら見ていた。

東京に一人で家でした少年が、

ひもじく3日連続でマックに通い、

空腹の中、食事を分けてくれた陽菜に対しては特別な感情を抱くだろうけど、、、。

と補足しながら観ていた自分がいた。

一番の疑問。新海さん特有の二人の距離感を描く部分がなかった。

これはあえて封印したのだろうか。

自分は新海さんの映画でここが好きだったんだなと改めて気がついた。

「好きな人と近づきたいでも、どうにも乗り越え難い障害がその間に阻んでいて、二人の引き裂いていく。

その二人の心情や気持ちの変化がとてもリアルで純粋なモノローグで語られる。とても叙情的な表現」

まとめ

「この映画が今の若い人たちにかなりの規模で評価されるとなると

私の感覚も時代遅れになってしまったのだなぁ」と思わざるを得ない作品になってしまったと思いました。

もしくは、都会で生まれ育っていないと

この作品に対しての感情移入どは下がってしまうのだろうか、、。

ニュースの記事などで新海さんが「クリエイターとして自分が

大事にしたいことを最後にとった」という内容のものを見かけた。

それもあって、君の名はよりも

「それ以前の作風に近いような尖ったものになるのか」と

自分は勝手に思っていたのだと思う。

その辺の状況が、

作品を見ている間

ずっと頭が動き続けてしまって、

作品に集中できなかったせいもあるかもしれないです。

ただ、

名作と言われる作品をそれをも超えて

作品に入っていける感覚があるはずだ。

最後に、こんな状況の自分が、映画が終わり館内を出る時にふと思ったことは、

商業的な結果やエンターテイメントとしての完成度をコンスタントにキープできていた

「宮崎駿」という人間はどれだけ化け物なんだと

改めて感じた次第だった。

これが、この映画を観てしばらく私の中に常に起こった

違和感だった。

通常クリエイターはすべてのセリフや表現に対して

意味を持って作るものである。

それがことごとくその意図がわからないものだった。

その疑問をそのまま記入している。

その違和感がなぜだったのか次回考察して観たいとおもう。

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